第5回目は世界的に有名なコーヒー企業を取り上げる。今では大成功しているこの会社。かつてはすべてのお店を一時閉鎖するほどの窮地に陥った。そこからの復活劇を支えたのはCEOの強い思い。そんな彼の考え方は、人生に迷っている全ての人を救うだろう。
このニュースレターでは、起業家が失敗を乗り越えて得た学びをお届けする。
先人たちの事例を毎回ひとつとりあげ、その失敗の原因から乗り越えた方法、さらに学びまでを徹底的に解説していく。本業・副業で成果を出したい人なら必ず参考になるはず。
今回紹介するのは世界的有名企業であるスターバックス。
もちろんあなたも知っているはず。詳しい説明は不要かもしれないが念のため説明する。
この企業の実績は素晴らしい。
今では世界的に人気があるスターバックス。しかし、この会社も存続が危ぶまれる程の危機に直面したことがある。大半の店舗で利益が出ず、すべての店を一時閉鎖。ブランドイメージも崩壊してしまった。
そんな困難をどのように乗り越えたのか。ここからの学びはあなたが取り組むべきことを明確にするためのエッセンスが詰まっている。
スターバックス事業拡大の立役者はHoward Schultz(ハワード・シュルツ)。
スターバックスの元CEO。彼は創業者ではない。まだスターバックスが無名だったころに入社している。
創業者ではないが、これだけは言える。今のスターバックスがあるのは完全に彼の手腕のおかげだ。そこで、今回は彼に注目して記事をお届けする。
彼は決して恵まれた環境で育っていない。特に、幼少期は想像を絶するほどの壮絶な体験をしている。この時、感じたことは彼の大きな信念につながる。
彼はその信念をスターバックスの経営に生かすことで成功した。今のスターバックスがあるのは、彼が幼少期に身に着けた「ある思い」のおかげといっても過言ではない。
一体、彼はどのような幼少期を過ごしたのか。時をさかのぼって解説していく。
彼はアメリカ・ブルックリンで生まれ育った。
彼の父親は高校を中退し、第2次世界大戦へ出兵。終戦後は肉体労働者として仕事を転々としていた。決して裕福な家庭ではなく、少ない給料の中で何とか家族で生活していた。
そんなある日、家族に大きな困難が訪れる。なんと父親が働けなくなってしまったのだ。
当時、父親は布おむつを配達・回収する仕事をしていた。配達中、父親は薄氷で滑り転倒。足首の骨にひびが入り、腰を骨折してしまった。
7歳の時、帰ったら父親が腰から足首までギブスをしてソファに座っていた。その姿をみて彼は衝撃を受ける。
もちろん父は会社をクビになり無職になった。労災も医療保険もない。家族一同、果てしない絶望の中に落とされた。シュルツ自身も12歳から、学校から帰った後に働くことで家計を支えた。
この時に感じたことが、スターバックスの大成功につながっている。詳細は後ほど。
奨学金で大学を卒業したシュルツは、Zerox(ゼロックス)の営業職として職を手に入れる。その後、雑貨会社に転職し副社長まで上り詰めた。
そんなある日、その雑貨会社にコーヒーショップから大量のドリップコーヒーメーカーの注文が入った。そのショップこそがスターバックスだ。当時の店舗数はたった4店舗。まだ無名のコーヒーショップだった。
シュルツはスターバックスの店舗を訪れ、一目惚れした。
素晴らしいコーヒーの香り。クオリティの高いサービス。そして落ち着いた店舗の雰囲気。
普通にコーヒーを売っているのではない。特別な体験を売っている。このコーヒーショップは素晴らしいポテンシャルを持っている。
そう感じた彼は創業者に入社を直談判。無事、採用されマーケティング担当として入社した。
ここから彼のスターバックスでのキャリアが始まる。
入社後しばらくして彼に転機が訪れる。それは、「ミラノの見本市への派遣」だった。この経験が彼の考えを大きく変えることになる。
ミラノにはどの通りにもカフェがあった。そこにはコミュニティがあり、ドラマがあり、ロマンスがあると感じた。コーヒーを通して他人とでもでつながれるような雰囲気がカフェにあったのだ。
これを見て彼はスターバックスの原型となるアイディアを思いつく。
コーヒーを提供するだけでなく、エスプレッソも提供することでお店にコミュニティやロマンスを加える。そうすることで第3の居場所を作るアイディアだ。
イタリアの文化をアメリカでも再現したい。
そう思った彼はスターバックスの経営陣にアイディアを披露することになる。
彼のアイディアに対して経営陣の返事は「No」。「その領域には踏み込みたくない」という回答だった。
それでも彼は2年間アピールし続けた。そしてシアトルの一角にある店舗で試験的に彼のアイディアを実施する許可が出る。
その店舗はオープンするやいなや大成功。たくさんの人が押し寄せた。
この結果をもとに彼は再び経営陣にアピール。この戦略はアメリカ中に通用するという確信を持って。
しかし、またもや返事は「No」。業態が変わってしまうことを怖がり、これ以上エスプレッソバーを作るつもりはないと断言されてしまった。
これをきっかけに彼はスターバックスを離れることになる。
彼はスターバックスを離れ「イル・ジョナーレ」という店舗を立ち上げた。
数多くの人にアプローチし資金調達に成功。彼がやりたかった第3の場所を作るエスプレッソバーを自らの手で始めたのだ。
具体的には、エスプレッソやアイスクリームを提供し、BGMとしてオペラ音楽を流すなどイタリアの雰囲気を再現する取り組みを行った。彼がイタリアで感じたことをアメリカで実現したのだ。
この店舗は成功し、最終的に3店舗を開くまでになる。彼のアイディアはアメリカでも受け入れられたのだ。
そんなある日、順調にビジネスを行っていた彼のもとに驚くべき連絡が入る。
それはスターバックスの買収話だった。
当時、スターバックスはコーヒー豆販売業者を買収し事業拡大。コーヒーショップの運営と合わせて2つの事業を経営していた。しかし、経営が悪化。コーヒー豆販売に専念するため、コーヒーショップを売却する相手を探していた。
そして、元社員で店舗経営に成功しているシュルツに声がかかる。
「これは素晴らしい提案だ」。そう思った彼は何とか資金を調達し、スターバックスのコーヒーショップ部門を買収する。
当時、店舗数は11店舗、約100人の従業員がいた。ここから彼の素晴らしい経営が始まることになる。
シュルツはスターバックスの経営で革新的なシステムを導入する。それは「従業員全員に医療保険と会社の持ち株を与える」というシステム。
まだ会社は小さく、経営は赤字。ビジネスモデルも明確に確立されていない。投資家からは「何を言っているんだ?」と言われた。
それでも彼がこのシステムにこだわった理由。それは幼少期の体験から来ている。
スターバックスに来れば、一定の尊厳やリスペクトを感じられるような会社をどうすれば作れるかを考えました。
社会に見下され、あるいは見向きもされない環境の出身者でも、この会社のに足を踏み入れれば、自分の価値を感じられるような会社、お互いをリスペクトできるような会社を構築したいと思いました。
自分の父のような人でもリスペクトされるような会社を作りたい。スターバックスで働いていることを誇らしく思うような会社にしたい。
そんな思いで社員に投資することにしたのだ。
シュルツはこのように言っている。
小売店には2種類のイノベーションがあります。標準的なものは消費者との関係のもの。真のイノベーションはパートナーとの関係によるものです。
彼は人への投資を惜しまなかった。社員が誇らしく働ける環境を構築した。この戦略はスターバックスの拡大に大きく貢献することになる。
当時のスターバックスはお金がなかった。つまり、テレビCMや広告などを出せるお金がなかったのだ。
この時、シュルツはこう考えた。
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